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「社会的弱者に優しい世の中」はもうすぐ終わる気がする

今の世の中で社会福祉に使うお金っていうのは

一部の人たちに集中している

そんな傾向にあるんじゃないかなぁと思うんですよね。

今の世の中っていうのは
いわゆる「みんなが1人のために」的な世の中なわけで。
社会全体で困難な一部の人を支えていくみたいな。
そういう風潮なんだと思うわけです。

・年金をもらう「高齢者」
・「働けない人」に生活保護
・「外国人」の留学費用を免除
・「難病患者」に対する医療

それってこういう例を見ても明らかな感じがしていて。

高齢者であるとか、働けない人であるとか。
今の日本で社会福祉の恩恵を受けている人っていうのには必ず条件が存在していて。
「〜な人」っていう条件にハマる一部の人。

その1部の人たちを助けるための世の中なんじゃないかなぁと思うわけです。

社会全体から集めたお金を一部の大変な人たちに投下してあげる。
そうやって社会全体で弱者を守っていこう

こういった風潮があるんじゃないかなぁと思うわけですよ。

でも現在その風潮ってだんだんと変化してきていて。

みんなは1人のために的な世界→みんなはみんなのために的な世界

つまり

一部の弱者にお金を配る→全員に一律平等にお金を配るシステム

の方へ向かって動き出しているのかなぁ、って感じるわけです。

どうしてこんな風に変化してしまったのか?

それは多分

一部の人を守るべき普通の人たち自体が貧乏になってしまった。
なのでもう守れる余裕がなくなってきてしまった

そういうことじゃないかなと思うんですよね。

最近はずっと景気が悪いじゃないですか。
給料も上がらないし、生活が大変だって人たちは増えてきていると思うんですよね。

毎日がんばって働いているのに全然楽にならない。
そんな声を聞くどころか、もうみんな諦めてしまっているような状況。
そんな雰囲気になっていると思うわけですよ。

最近は
普通に働くよりも生活保護もらった方がたくさんお金がもらえるじゃん

みたいな話が話題に上るようになって来ちゃったわけじゃないですか。

それってボクは象徴的な話だと思っていて。

本来弱者であるはずの人たち。
守ってもらうべき人の方が強者になってしまって。
弱者を守るべき人。
普通の人たちよりも強くなってしまった。
そういう状況になってしまったんだと思うわけですよ。

ボクの知り合いが言っていたんですけど。
生活保護の支給日になると、彼が働いてるお店に生活保護受給者が商品を買いに来るわけですよ。

で。真面目に働いているボクの友人は、その生活保護受給者の人たちに対して「いらっしゃいませ」って頭を下げているんだって。

最初に言っておきたいのは、ボクはこれからの世の中は「優しさの時代」に入っていくと思っているし。
上下関係とかそういった言葉を使うのはほんとに好きじゃないんですよ。

ただ、真面目に働いている人間が、税金で生きている人に頭を下げている。
こんな状況は実際に発生しているんだろうし。
最近は真面目に働いたって給料が上がらないもんだから、未来に希望が持てない
そんな状況でイライラしちゃって。

なんでオレが生活保護受給者に頭下げなきゃならないんだよ

そんなふうに考えちゃうのも無理はないのかなあって。
そう思っちゃうんですよね。

こういった話って別に生活保護だけの問題ってわけでもなくて。

例えば発展途上国から日本に来ている留学生の人たち。
この人たちって学費がタダだったりするわけですよ。

で。その反対に日本人の学生は「卒業して何年たっても学費のローンが払い切れない」みたいな問題があって。
それで日本人学生さんたちが

奨学金返せないよ!

みたいな。
そんなデモを起こしたりしているわけですよ。

これもおかしな話ですよね。

まぁ言葉は悪いですけど。

貧乏な国から来ているから学費を無料にしてあげているわけじゃないですか。
外国人留学生って。

なのに当の日本人大学生の方が外国人留学生以上に貧困にあえいでいたら、本末転倒。

何のために外国人を優遇してあげてるんだ

そんな感情が生まれてきちゃうのはしょうがないことだと思うんですよね。

1部の人間を助ける世の中はもう終わりにしよう

そんなエネルギーが今の社会には働いているとボクは考えていて。

じゃあその結果として次はどんな時代が来るのか?って言う話なんですけど。

それはやっぱり

みんながみんなのために

って言う社会なんだと思うんですよね。

今ベーシックインカムって言うシステムが結構いろんなところで取り沙汰されているじゃないですか。

あれってこの
みんながみんなのために的な社会
を象徴するシステムだと思うんですよね。

・年金廃止
・健康保険廃止
・生活保護廃止

それで国民には一律で80,000円とかのお金を配るようにする。
そんな感じのシステムなわけですから。

高齢者だったらとか、難病患者だったらとか。
そういった受給条件みたいなのは全部なくなっちゃうわけです。

みんな一律でもらえる金額は80,000円。

そのかわり、政府がやることはやってしまったから。
後は病気にかかったり、大変な状況になったとしても自分で全部何とかしてね。

そんな自己責任の社会なのかもしれないなぁと。

だからすごく高額な治療がかかるような病気にかかったりしたら、もう完全にアウトですよね。

治療費1億円とか。
まぁすごくレアなケースかもしれないですけどそういった病気にかかる場合っていうのもあるわけじゃないですか。

そういうのにかかってしまったらもう諦めるほかないんだろうなぁと。
そう思います。

まぁ世の中の風に逆らおうって思っても、逆らいきれるものじゃないわけじゃないですか。

だから状況が変化していく中で自分なりに生きていく方向を模索していくしかないとは思うんですけど。

とりあえず健康って言うのは1番大切なキーワードになるんじゃないかなって思うんですよね。

自己責任的な世界になったら、医療費も高くなっちゃうんだろうし。
病気になってしまったら、そりゃあ大変なわけじゃないですか。

たぶん政府は助けてくれないわけだし。

多分今のアメリカみたいな感じになってくるんじゃないかなぁと。
そんな気がしてるんですけどね。

ジョブズの動画に感動的なBGMをつけないで欲しい

ボクは昔の偉人が話している動画を見るのが好きで。
YouTubeを使ってよく見ています。

ボクは趣味が占いだったりもするので、気になった人がいたら名前を検索。

それで彼が本当に言いたい事は何なのか?
そこを研究していく作業が好きなんですよね。

それで最近スティーブジョブスさんの動画を見ていたわけですけど。
その時にちょっと思ったことがあるんですよね

インタビュー動画で流れるBGMって邪魔じゃないですか

ジョブスさんなんかはもう死んじゃったわけだし。
よくも悪くも神格化されちゃってるわけですよね。

それで、なんていうんですか?
「感動しなさい的なBGM?」が編集で挿入されている。なんてことが多いわけです。

まるで
ジョブズさんが言っていたすべての言葉は珠玉の名言

とでもいわんばかりの編集っぷりで。

言っている事とBGMが合っていない時もあったりするので。
正直、見ていて

うわっ、、、

っと思ってしまうことが多々あります。

いや確かにジョブズさんは凄い人だと思うし、素晴らしい考え方を持っていたんだと思うんですよ。

だってそうじゃないとiPhoneを作ったりとかいろんな革新的なアイディア何かは生まれてこなかったわけだし。
それは事実だと思うんですよね。

でもその一方で、

完璧な人間なんているわけがないんじゃない

そんなふうにも思ってしまうんですよね。

まぁこれはボクが占いができるからっていうのもあるんですけど。

人間って実は欠点だらけで生きているもので。
それは偉人であろうと凡人であろうと同じなんじゃないかな。
そんなふうに感じてしまうわけです。

BGMの何が邪魔かって言うと
編集者の意思が入り込んでしまうこと
だと思うんですよね。

今の世の中ってインターネットで自分で情報取りに行ける時代なわけじゃないですか。

で。YouTubeで名前を検索しているっていう時点で、その人に興味を持って調べていたりするわけですから。

編集者によるイメージを押し付けみたいなのって不要な要素なんじゃないかなぁと。
そう感じちゃうわけですよ。

できるだけニュートラルな気持ちで人を感じたい

そんな気持ちで動画を開いているっていうのに。
なんか、ものすごく味付けがされた動画に仕上がっていたりして。
結構嫌な気持ちになったりしちゃうんですよね。

まぁそれでも
自分が見たい動画があるんだけど、どうしてもBGMなしのものが見つからない

なんて時もあるじゃないですか。

そういう時はボクは「頭の中でBGMを消す」っていう脳内処理をしながら見ていたりするんですけどね。

人が話してる動画

これってそれだけで相当いろんな情報がそこに詰まってると思うんですよ。

発言でしょう。雰囲気でしょう。
仕草1つ取ったって、そこにはいろんな意味が含まれているわけじゃないですか。

そういったところに注意して見ていると

あぁ。ジョブズさんはこういう時に深く考え込むんだ

とか

こういう話をしているときに笑顔になる人なんだ

とか

本当にいろんな情報が感じ取れるわけじゃないですか。

この
・BGMありの動画
・BGMなしの動画

っていうのは

・塩ラーメン
・海鮮豚骨醤油ラーメン

みたいな感じに比較ができるんじゃないかなぁとボクは思っていて。

純粋にその人を感じることができるのはBGMなしの塩ラーメンですよね。

出汁と塩の味しかないわけだから、ごまかしがきかないっていうか。
その人の持っている雰囲気がそのまま動画に現れているわけですよ。

海鮮豚骨醤油ラーメンっていうのも、もちろん美味しいは美味しいわけですけど。

ただスープの中に入ってるものはカオス。
もはや、分別が不可能な感じになってしまっているんだと思います。

編集過多の動画っていうのは、BGMに効果音。そして切り取りでしょう。

とにかくいろんな要素がプラスで入り込みすぎているので、複雑になりすぎている。
そういうことなんじゃないですかね。

だから
ジョブズさんそのものを感じたい。
良いところも悪いところも含めて。

そういう人はBGMがない動画を選べばいいと思うし。

いわゆる世間で評価されているステレオタイプな見方でのジョブズさん。
そこを知りたい人はBGMがある動画を選べばいいんだと思うわけです。

ただ。どうなんでしょうね。
さっきも書いた通り今はインターネットの時代。
自分で興味がある人を直接調べる時代なわけですから。

ジョブズさんの世間イメージを知りたい!

なんて人は実はもうあんまりいなくて。

よくも悪くも本当の姿を知りたい!

なんて人の方が多くなっている気がするんですけどね。

あ。ただですね。

別にボクはすべての編集が悪だって言ってるわけではなくて。
発言者の意図をちゃんと汲み取って、魅力を生かすような形でBGMを活用するのであればオッケー。

むしろそれはそれで素晴らしいドキュメンタリーになるいいんじゃないかなぁと。
そんなふうに思っています。

実際に発言者の気持ちとBGMがマッチした神動画みたいなのもあるわけじゃないですか。

ボクだって、そういう動画を見て感動したことだってあるわけですしね。
全部が全部否定しきれるっていうものでもないと思うんですよね。

学校の先生はもっと尊敬してあげた方が良いと思う

「先生」って呼ばれる職業といえば何がありますかね?
お医者さんでしょう。弁護士さんでしょう。それから学校の先生もそうですよね。

今挙げた3つの中で1番社会的な地位が低いのってやっぱり学校の先生だとボクは思うんですよね。

学校の先生って呼び方だけは「先生」なんて立派なものなんだけど。
実際にはあまり尊敬されていなかったりするんじゃないかなぁと。
そう感じちゃうわけですよ。

でもこれってちょっとおかしいことだと思いませんか?

だって学校の先生って未来を担う子供たちを教育する仕事なわけでしょう。

これってなかなか責任は重大で。
大変な仕事なわけじゃないですか。

だって変な人間を育ててしまったら、世の中グチャグチャになったりしてしまうわけですから。

だから学校の先生って本来は尊敬されてしかるべき存在なんじゃないかなぁって。
そんな風にボクは思ってたりするんですけどね。

どうして日本では学校の先生ってあまり尊敬されてないんでしょうか。

それはボクが考えるに
経済力のある仕事=尊敬される仕事
こんな図式が日本では成立しているからじゃないかなぁと。
そんな気がするんですよね。

ようは
お金がある人が偉い
みたいな。
そんな風潮がある気がするわけです。

だって実際に社会的に高い評価を受けている仕事ってみんな高給取りのお仕事だったりするわけじゃないですか。

例えばお医者さんでしょう。
弁護士さんでしょう。

それに会社の社長さんとかも。
社会的地位って言う意味では結構上位に位置してるイメージがあります。

こういう状況を眺めてみると、ボクなんかは

うわぁ。拝金主義的だなぁ、、、

そんな風に感じてしまうわけですけどね。

こういう風潮って、実はあまりいいことじゃないんじゃないか。
ボクなんかは、どうしてもそんなふうに思っちゃうんですよね。

なぜそう思うか?

それは社会が拝金主義的になっちゃうと、アンバランスで不平等な世の中が出来上がっちゃうような気がするからです。

だって
お金+尊敬
でしょう。

お金を持っている人が尊敬まで手に入れちゃったら、それはちょっと行き過ぎじゃないですかね。

「世の中の全てを手に入れる」ような人が現る。
そんなことになったら、これってとても不平等なことだと思うんですよね。

だって、そうなってくると逆に全てを失う人が出てきちゃうわけで。
お金はない。尊敬もされないみたいな。

そんな悲惨な人たちを生み出すことに繋がっちゃうんじゃないかな。
そんな風に考えちゃうからです。

ボクが今暮らしているベトナムの話をちょっとしたいなぁ、と思うんですけど。

ベトナムでは先生の仕事っていうのは無条件に尊敬される仕事なんですよね。

お給料は安いんですけど、みんなからの尊敬はしてもらえるっていうか。
まぁ。そんな感じです。

ベトナムではとにかく人に何かを教えることっていうのは、それだけで「尊いこと」だとされていて。
教育関係の仕事にはちょっと名誉職的な一面があるんですよね。

だから生徒たちからも

給料は安いのに私たちに教えてくれてありがとう

そんな雰囲気が感じられるというか。

先生に対して優しい文化が根付いているわけですよ。

ベトナムには「先生の日」って言う日なんかもあってですね。
この日は生徒が先生に対して日ごろの感謝の気持ちを表す日なんですよね。

プレゼントをあげたりとか。
ケーキを食べたりとか。

まぁ。学校の先生にとってはちょっと嬉しいイベントデーです。

学校によっては先生のために劇をやったりとか。
割と大掛かりなイベントが準備されていることもあったりするので。
日本人が初めて学校の日のイベントに参加すると

え?先生って言うだけでこんなに優遇してもらえるの?

ってカルチャーショックを受けること請け合いだと思います。

今日本で働いている教育実習生って人たちがいるじゃないですか。

ベトナム現地にはその人たちに日本語を教える仕事っていうのがあって。
ボクはその仕事をやっていたことがあるんですけど。

ボク自身、先生の日には盛大にお祝いしてもらって、とても感動した記憶があります。

先生やっていてよかったなぁ

そう思いましたよ。やっぱり。

まぁ。こんな感じでベトナムには先生を無条件で尊敬する文化っていうのがあるわけですけど。

こういった文化があるおかげで、教育に対してのメリットもある気がしています。

それは
先生の質が良くなる
ってことなんですよね。

ベトナムにおける先生っていうのは「人に尊敬されるべき立場」っていうのが明確にあるわけですから。

やっぱりそれが責任感みたいなものにつながっていて。
教師自身の人間性向上につながっているケースが多いんじゃないかな。と。

そう、ボクは感じるんですよね。

いやそりゃあ、いろいろと問題はありますよ。
ベトナムってまだまだ発展途上国ですから。

日本人の感性では考えられないような事件を起こすような先生だって、結構いたりもするみたいです。

それはそうなんですけど。

ボクが話しているのはあくまで比較論の話なんですよね。

・先生の仕事をしている人
・その他の仕事をしている人

この2つを比較したときにどちらの方が倫理観に優れているか?
っていう話です。

やっぱり学校の先生の方がしっかりした意識を持って働いている気がするんですよね。

今、日本では「学校の先生の仕事がすごく大変だ」って言う話が出てきているじゃないですか。

これって本当の話だと思うんですよね。

だって自分が学生の時は気づかなかったんですけど。
学校の先生っていつも職員室で働いてたりするじゃないですか。

採点でしょう。残業でしょう。部活でしょう。
生徒の宿題チェックしたりとか。
生活指導なんかもするわけですよね。

多分業務量は半端じゃない。
それはそれは、大変な仕事だと思うんですよ。

そんな大変な仕事なわけだから、給料を上げてあげたらいいんじゃないかなって。そう思うんですけど。

なかなかそれも現実的には難しいみたいですよね。

だから給料をあげることができないのであれば、せめて尊敬する。

そういった文化を作っていかないと、志しの高い人は先生にならないんじゃないかなぁと。
そう思っちゃうんですよね。

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マクドナルドを食べに行くときのボク的な心構え

マクドナルドって今ではありふれた存在で。
日本中至る所に店舗があるわけじゃないですか。

まぁ。それで希少価値みたいなものもあまり感じられなくなっているのか。

昼はとりあえずマックにしとくか

みたいな。

そんな軽い気持ちで食べに行ってる人が多いと思うんですよね。

でも考えてみたら子供の頃のマクドナルドって、もっとなんか光ってた気がするんですよね。

週末はお母さんにマクドナルドに連れて行ってもらいたいなぁ

こんなことを考えている子供って実は結構多い気がしていて。
少なくともボクはそうでした。

まぁ昔は今より店舗数が少なかったっていうのもあるし。
それにボクの場合は母親が

体に悪いから

っていうのでめったに連れて行ってくれなかったから。
それで自分の中でマクドナルドで食べるっていう行為自体が貴重な体験になっていた。

そういうこともあるんだとは思うんですけどね。

まぁ。とにかく昔からボクにとっては結構特別な日だったわけですよ。
マクドナルドが食べられる日っていうのは。

で。実は大人になった今でもその感覚ってあまり変わってなくて。
マックでご飯を食べれる日って言うのは結構いまだにワクワクしたりするんですよね。

マクドナルドっておいしいじゃないですか

何といっても
ハンバーガー+フライドポテト+コカコーラ
ですからね。

このコンボが嫌いな人っているのかな?
っていうくらい完璧な食べ物の組み合わせですよね。

肉に揚げ物にコーラですよ。

ボクにとっては、子供の頃から今まで変わらない。
まさに憧れの味です。

ボクの中でマクドナルドを食べるときの心構えっていうのは
よし!今日はアメリカ料理を食べに行くぞ
っていう。
そんな感覚なんですよね。

ファーストフードを食べに行くって言う気持ちでマックに行ったら。
まぁ。ただのワンコインランチになっちゃうわけじゃないですか。
マクドナルドの昼食って。

でも、それじゃあちょっと残念な感じがしちゃうんですよね。
せっかくのマクドナルドを楽しみきれてないっていうか。

せっかくわざわざお店まで行くわけですよ。
お金も払って。
そして体に悪い食べ物を食べるわけですから。

もっと気分を盛り上げて。
自分の中で楽しんで行った方が良いにきまってる。
ボクはそう思うわけです。

アメリカ料理を食べに行く
アメリカの文化を感じに行く

こんな気持ちで食べに行くと、それだけでもう気分はアメリカ。
まるでアメリカを旅しているような気持ちになっちゃう。

マクドナルドって外国の食文化を体験するって言う目線で考えるとめちゃめちゃコスパがいい食べ物だと思うんですよね。

だって、マック以外で本格的なアメリカ料理を食べたいなぁと思って。
それでハードロックカフェとかに食べに行ったらメチャメチャ高いわけじゃないですか。

2〜3000円位はあっという間に飛んじゃいますよね。
ハードロックカフェ。
しかもなんか敷居も高いじゃないですか。
軽い気持ちで食べに行く事はできないみたいな雰囲気。
そんな気がします。

いやおいしいんですけどね。
ボクは大好きなんですけど。

ただ、どうしても
月に1回はいけないなぁ
そう感じてしまう位の敷居の高さがあるんですよね。
値段的にも、雰囲気的にも。

だからやっぱりマックは最高なんですよね。

だってマクドナルドのハンバーガーって間違いない本場のアメリカの味なわけじゃないですか。

アメリカ人が毎日食べている「アメリカの味」。
それがマクドナルドへ行くだけで、気軽に楽しめちゃう。
しかもそこそこ安いわけですよ。

これって実は結構すごいことなんじゃないかなぁと思うんですよね。

日本人全員が貧困になったとしても、コロナ対策は徹底するべきだ

・コロナにかかって死ぬ人
・コロナで失業して自殺する人

この2つを天秤にかけてコロナ対策を考えている人が多い気がするんですけど。
ボクはこういった考え方ってあまり好きじゃないんですよね。

って言うのも、これはコストパフォーマンスを軸にした考え方でしょう。
A案とB案を見比べてみて、どちらの方がメリットが大きいか、そしてデメリットが大きいか。
こういった思考で物事を判断していく。
そういった行為なんだと思います。

でもですね。
こういった伝染病の蔓延みたいな話っていうのは経済とかビジネスとはそもそも性質が違うわけだから。
コストパフォーマンスで考えて、物事を決定してはいけないと思うんですよね。

だって人命が関わってくる問題なわけですからね。

右の道へ行ったら100人が死ぬけど、左の道へ行ったら5人の死者で済む。
だから左の道へ行くべきだ。
だってそのほうが得だから。
メリットが大きいから。
コストパフォーマンスが高いから。

こういった考え方っていうのは人の命が関わる案件ではやってはいけないんじゃないかなとボクは思っちゃうんですよね。

コロナにかかって死ぬ人

これって自業自得じゃないですよね。
だってちゃんと対策をして、病気が蔓延しないようにしていれば、この人は死ぬ事はなかったわけでしょう。

だからこれは自業自得じゃなくてまさに犠牲者なんだと思うんですよね。

コロナによって職を失って自殺する人

いやこういうことが実際に起きているとしたら、もちろんそれはとても悲しいことだと思いますよ。本当に。

ただこういった人たちがどうして自殺するのか?って言う原因を考えると。それは「周りの人に頼ることができないから」なんじゃないかなって思うんですよね。

どういうことか?というと。

例えば地震が来たら家がなくなったりするわけですよね。
日本っていつもそういうリスクが発生しうる国なわけです。

で。そんな時に家がなくなって惨めな生活をしなければならない人っていうのはたくさんいるわけですよ。

でもこういった人たちって仕事がなくなってお金がないから自殺する人とは違って、自殺はしないわけです。

むしろけなげに生きているというか。
生き残った者の使命として、よりいっそう頑張りたい、って言う気力を感じるというか。

そういった姿が日本人のみならず世界中の人を感動させたりしているわけじゃないですか。

経済的困窮っていう要素は同じであっても、
「地震で家を失う人」と「コロナで家を失う人」
は自殺するか?しないか?と言う点では全然違うことをしてしまうわけです。

どうしてでしょうね?

ボクはこれって
プライドの問題
だと思うんですよね。

つまり地震が来て家を失う場合って、自分だけじゃなくて周りの人たちも一緒になって大変な思いをするわけじゃないですか。

周囲の人たちも含めてみんなで一丸となって困難に立ち向かっている時には、日本人ってかなり頑張れるわけです。

だけど自分だけ仕事を失うみたいな、自分だけが惨めな状況には耐えられない。
都会で孤独にホームレスのような生活をしなければならないような状況。

それって今の時代では全て「自己責任」って一言で片付けられて。
誰も助けてくれないわけじゃないですか。

だから精神的に耐えられなくなって自殺しちゃう。
そういうことだと思うんですよね。

これっていわばプライド自殺とでも言えるんじゃないかなぁ。

でも考えてみたら今回のコロナ騒動っていうのは誰に責められるものでもない不可避なものじゃないですか。

突然、こんな大変な状況が訪れて、何の準備もできていないものだから明日から生きていくことができない。
そんな人が増えてしまうのは当たり前のことだと思うんですよ。

だから本来的には今回のコロナによって経済的困窮になってしまった人っていうのは、周囲の人に助けを求めたらいいんじゃないか、って思う。

だってこんな状況で、
お米分けてください。味噌分けてください。
こんな話って全然通る話だとボクは思うんですよ。

もしかしたら
1週間だったら家に泊まってもいいよ
なんて言ってくれる友達が出るかもしれないですよね。

ボクは友達がいない

確かにそんな人もいるかもしれないけど、じゃあ国に守ってもらえばいいじゃないですか。

生活保護を申請すれば今の時期だったら絶対通るんじゃないかな。と。
そう思っちゃうんですよね。

いや、わかるんですよ。
今のご時世に「人に助けを求める」っていうことが、どれだけやり辛いことなのか?っていうことは。

日本人はいつの間にか冷たくなってしまったんでしょうね。
「自己責任論」が強くなりすぎちゃったっていうか。
助け合いの気持ちがなくなって来ちゃったのかなあ。

まぁ。むしろ今回のコロナ騒動っていうのはここまで冷たくなりすぎてしまった日本人の心にガツン!と鉄槌を与えてくれるもの。
そんな風に捉えた方が良いのかもしれないですけどね。

とにかく人命に関わる案件でコストパフォーマンスや経済を軸にした考え方をする事はボクは反対です。

大切なのは気持ちであって、お金じゃないと思うからです。

これはすごい極論ですけど。
たった1人のコロナ患者を救うために日本人全員が貧困に陥る
それでもいいんじゃないかな、とボクは思うんですよね。

なぜか?っていうと。
それはボクが
コロナ問題は経済の問題じゃなくて精神や気持ちの問題だ
って認識しているからです。

だってみんなが貧乏になったら助け合わざるを得ない世界になってくるでしょう。

今までずっと自己責任の時代が続いて、自由だけど孤独で誰も助けてくれない。
そんな世界でみんな頑張って生きてきたわけじゃないですか。

もうそろそろ限界じゃないですかね。
ぶっちゃけみんな寂しくないですか?

ボクは正直、結構寂しいですけどね。
日本で生活していると。

母親は自分の子どもに冷凍食品を食べさせるべきなのか?

こういった意見に「一理ある」って考える人が出るくらいに現代のお母さんって追い詰められているんだろうなぁ

シンプルにそう感じてしまった。
いや、すごく大変なんだと思う。
子育てって。

そりゃあ
今までの歴史で子育てが楽だった時代なんてない
そんなことを言われてみればそうなのかもしれないけど、それを差し引いても現代の子育てって相当に大変なことなんだと思う。

大体、社会が殺伐としているでしょう。
社会全体で子供を守っていこう、みたいなそんな雰囲気が全くないよね。
今は女性も社会で働かなきゃいけないとかって言って。
時間に余裕もないんだと思う。

そんな中で料理もちゃんとしないといけないなんて。
自殺する人が出てきちゃっても全然おかしくはないレベルだよね。
なんでこんな世の中になってしまったのか、、、

まぁそんな風に思ってはいるんだけど。
その話はちょっと置いておいて。

ボクは子どもに冷凍食品は食べさせない方がいいと思う。

もちろん、子どもの健康とかそういった面から冷凍食品に反対ってのもあるんだけど、むしろお母さんのために反対してあげたい、って気持ちの方が強いのかも。

吉本隆明って人が言ったとされる名言のなかにこういうものがあるらしくて。
ちょっと長いんだけど。

『女性が自分の想像した料理の味に
家族のメンバーを馴致(飼いならす)
させることが出来たら
その女性は家族を支配できるに違いない。

支配という言葉が穏当でなければ
家族のメンバーから慕われ、
死んだ後でも懐かしがられるに違いないと
言いかえても良い。

それ以外の方法では、どんな才色兼備でも
高給取りでも社会的地位が高くても、
優しい性格の持ち主でも

女性が家族から 慕われることは
まず絶対にないと思ってよい。』

つまり女性は自分で料理を作らない限り、子どもに好かれることはできない、と。
そういう意味ですよね。

これはボクは真実だと思うんですよね。

実際にボク自身、母親と揉めることがあったとしても、今だに慕い続けていられる1番の理由は「昔から食べ慣れた母親の味」ってやつのおかげな気がするからですね。

これはもう、なんというか理屈の問題じゃないんですよね。
人間ってそういうふうにできてるんだろうなぁ、と。
そう感じるレベルなわけです。

田舎に帰ったら母親の作るご飯を食べたいなぁ、ってやっぱり感じるしね。

じゃあ逆にもし冷凍食品で子どもを育てたとして、その子どもって母親に対してどんな気持ちを持つのか?

どうなんでしょうね?
母の味が「コンビニの味」みたいになっちゃうわけでしょう。彼らにとっては。

ボクなんかだと、もし仮に母親が死んだって考えると
「あぁ、もうあのお母さんの味は二度と食べられないのか、、、」
って寂しい気持ちになるとは思うんですけど。

彼らの気持ちってどうなっているのかな?

その冷凍食品を作っている会社が倒産したら、寂しい気持ちになる。とか?
うーん。
でも食品会社だってよく味付けの変更なんかをしているとは思うんですけど。

いや、ちょっとボクには正直うまく想像ができない。

それこそ典型的な例で言ってしまえば、東京で生まれてコンビニ弁当で育った子どもみたいな感じなのかもしれないけど。



今って女性の社会進出が進んできていますよね。

それで、女性自身も殺伐とした社会に放り込まれることになって、大変な状況なんだと思う。
気持ちに余裕もないはずだと思うんですよね。

でも、その分今の社会は昔より女性の意見が通りやすい世の中になってきている気もしていて。

「男も家事をするべき」とかそんな意見が通り始めているわけですよね。

それ自体は
まぁしょうがないんじゃない?
ってボクは思う。
社会って変わっていくものでしょう。

でも、ここで忘れちゃいけないのは
子供は本能で生きているし正直だ
ってこと。

冷凍食品を食べさせることは手抜きじゃない。
それによって出来た時間で子育てや仕事を頑張っているんだ。

それはきっと正論で、正しいことだと思う。
論理的にはね。

でも人間としてでうか?とか、本能的に正しいのか?っていう視点でみるとどうなんでしょうね。

ボクの本能のセンサーがちょっと拒否反応を示しているわけですよ。
その意見って、ちょっと気持ち悪い感じがするなぁ。って。

社会や男の人は論理的に説明することで納得して、現代女性の言うことを聞いてくれるかもしれないけど、そもそも子どもは論理的な世界に生きていないですからね。

頑張って子育てしたんだけど、料理だけはしなかった結果、将来全然子どもに好かれない母親になってしまった。
なんてことになったら悲劇じゃないですかね。

手料理を食べずに育って子どもって、帰省したときに
「お母さん。味の素の餃子チンしてよ」
なんていうものなのかな?

それが正しい母と子の姿ってふうにはボクにはどうしても思えないんですよね。

外国人に「日本人が好きですか?」と聞くのはやめたほうがいい

ベトナムで生活していると日本人の旅行者から
ベトナム人は日本人のことが好きですか?

って聞かれることが多いです。
それから、ボクが参加しているFacebookのベトナムと日本の交流ページで
ベトナム人は日本人と結婚したいと思いますか?

っていう質問を見ることが多いです。

日本人って個人としての自分に自信がなくてこういう質問をするのかもしれないんですけど、外国人と話すときにはやめたほうがいいと思うんですよね。

もちろん外国人っていってもいろんな人種がいるわけで、一概には言えないと思うんですけど。

世界中の多くの国では、個人と個人で話をするときに自分の国の信用を話題にあげることってあんまりないと思うんですよね。

だから。ボクは本当はこんな事は言いたくないんだけど。

外国で生活している人から見るとこの
「日本人ってどう?」
っていう質問の仕方はちょっとね、、、

自分の魅力に自信がないんだってことが伝わって、ものすごくダサく見えてしまうんですよね。

例えばボクの親がトヨタの社長だとするじゃないですか。

で。
そのボクが女の子を口説くときに
ボクはトヨタの社長の息子なんだけど、あなたは私と結婚したいですか?

って言ってるイメージ。
めちゃめちゃダサいじゃないですか。

まぁ日本人って自分って言う個人よりも国の信用を大事にするってことが美徳になっていて。
これはこれで素晴らしいことですよね。

実際そんなことをする民族なんて世界中にほとんどいないわけだし。
それで実際に世界で信用される素晴らしい国になっていると思うんですよ。

ただそんな性質があるからこそ、外国人と一対1で向き合ったときにどうしても弱さが見えてしまうってことがあると思うんですよね。

まぁこれは多くの日本人が無意識的にやっていることだからしょうがないとも思うんですけど。
外国人からはそんなふうに見られるかもしれないから、注意したほうがいいですよっていう。
そういうことですね。

じゃあ外国人と話すときにどんなふうに接するのが正解かって言うと

ボクはこんな人間だよ。そんなボクのことをあなたは好き?

こんなふうに自分個人の性格や人生観を語ることで仲良くなればいいと思います。

いや、日本人って心根が優しい人が多いから、こんなふうに正攻法で自分が大切に思っていることとか、今までの人生とかを説明するとむしろ絶対信用されると思うんですよね。

その点は自信を持っていいと思うので、外国人と話すときは恥ずかしがらずに自分のことを伝えていけばいいんじゃないかなぁと思います。

日本人の性格は性善説ではないと思う

日本でよく
日本人は性善説だ。人がいいから外国人に騙される

とかっていう人を目にするんだけど。
いいか悪いかは別にしてボクは日本人って性悪説的だと思うんですよね。

性善説と性悪説の違いっていうのは

性善説は人はもともとは善なんだけど、悪によってそそのかされちゃう人もいる

性悪説は人はもともとは悪だけど、自制心によって善の方向へ進まなければならない

っていうことだと思うんですよね。

つまり、どちらが良いか悪いかは別にして。

始まりの部分が善なのか?悪なのか?ということで言葉を分別していると言う意味です。

で。この分別を元にして考えると、やっぱり日本人って性悪説の方に入ると思うんですよ。

日本人の考え方って悪いことを考える事は悪じゃないけど実際にやってしまったら悪になるっていうものでしょう。

誰だって悪いことを思ってしまう事はある。だからそこまではギリギリセーフ。
だけど実際にやってしまったらそれは許されないよ。

そんな文化だとボクは理解しているんだけど。

これって根本の部分、というか始まりの起点については悪であってもいいってことじゃないですか。

大切なのはその人が結果的にどんなことをするかであって。

つまり
結果よければ全てよし
ってやつですよね。

ちょっと話がずれるんですけど。

ボクは今ベトナムっていう国で生活してるんですけど。
この国の人たちを観察していると、どうも性善説っぽいなーって感じるんですよね。

で。何度も何度も書きますけど。
別に性善説がいいとか、性悪説がいいとか。
そういう気持ちをボクは全然持ってないですからね。

あくまでどちらに区別されるか?の話をしているだけなんですけど。

ベトナム人って人を騙すことがあったりとか。お金を盗んだりとか。
結構日本人から見ると「いわゆる悪いこと」をやらかすんですよ。

ただそこは価値観の違いっていうか、文化の違いみたいなものが大きいと思っていて。

ベトナム人って、日本人ほど「悪いことをやった」という事実に対して悪いとは考えないみたいなんですよね。

じゃあ何が悪いことなのかって言うと、悪いことを考えること。

これこそがベトナム文化における「本当の意味での悪い事」に設定されている感じがするんですよね。

日本だと負のエネルギーを使って結果的には良いことを成し遂げる、ってのはよくあることじゃないですか。

例えばすごく嫌な奴がいるとして。
そいつへの復讐心で、死ぬほど働いたらお金持ちになれた、みたいな。

そういった話が美談として語られることが多いわけですけど。

こういった、始まりがネガティブなエネルギーはベトナム人には似合わないってことです。

だって悪いことを考えてしまうような精神レベルが低い人間が行動を起こしたとして、良いことをできるわけがないじゃない

彼らはこんな感覚だと思うんですよ。

いや。この考え方が正しいかどうかはボクはわからないですよ。

実際ベトナムって軽犯罪とかめっちゃ多いわけだし。
日本みたいに結果に対して責任を負わせない文化があるから、結果として社会はカオスな感じになってますからね。

ただベトナム人の方が日本人よりも精神的に純粋で。
気持ちの根本の部分がきれい。
つまり性善説的であることは間違いないと感じているんですよね。

それに
悪い人間が良いことをするわけがない。だからそもそも悪いことなんて考えないような人間的に素晴らしい人間に人はならないといけないんだ

ボクはこういった考え方にも一理あると思っています。

物事の始まりを大切にするベトナム人と物事の終わりを大切にする日本人。

この2つの文化ってほんとに真逆ですよね。

まぁ
・優しい感情で物事を始めて
・社会に対して素晴らしい影響を与える

両方が揃えば鬼に金棒なんでしょうけどね。
なかなかそんな完璧人間には人はなれないものなのかなぁ。
そんなことをよく考えています。

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日本は「1億総パチンコ中毒状態」

パチンコが好きな人

パチンコでお金を稼ぐのが好きな人

っていうのは全然違う人種だと思う。

よく自分が夢中になれるものとか、好きなものを仕事にしなさい、なんて言われるけど。
本当に好きなものを仕事にしている人ってどのくらいいるのかな?

パチンコの話を例にすると、まぁボクはパチンコ打ったことがないので、本当のところはよくわからないんですけど。

たぶんパチンコそのものが好きな人。
つまりパチンコの腕が上がることが快感だったりとか、ジャラジャラと玉が動いていくのを見ることが大好きなんだ、なんて人はほとんどいないと思うんですよね。

なんでかっていうと、もし本当にパチンコそのものが好きなんだったら、ゲームセンターに行けば十分だと思うから。

大抵のゲーセンにはパチンコの古い台が遊戯台として設置してあって。
100円払えば十分に楽しむことができますからね。

純粋にパチンコそのものが楽しくてたまらないって人は、ゲーセンに行って100円払って遊べはいいのになぁ、って思っちゃうわけです。

でも実際はみんなパチンコ屋に行きたがるわけじゃないですか。

っていう事は、実際はみんなパチンコが好きでやってるわけじゃなくて。
パチンコというものを介して行われるギャンブルにハマっているんじゃないか、って思っちゃうわけですよ。

で、ここまでの話を聞いているだけだと単にパチンコ中毒の人をディスってるだけのように見えるかもしれないんですけど。
ボクが言いたい事はそうじゃないんですよね。

ボクは実はこのパチンコの話って現在の日本で働いているサラリーマンのほとんどに当てはまると思っていて。

日本は1億総パチンコ中毒状態

なんじゃないかな、って感じてるんですよね。

みんな本当にその仕事が好きだからやってるのかな?
それともお金が稼げればいいや、って感じで、ギャンブルとしての魅力で仕事をしているのかな?

そこがボクはとても気になります。

ボクの周りにも、もう社会人歴15年なんて人が増えていて。
大学卒業から数えるともう15年も働き続けてる、なんて人が多いんですよ。
えらいですよね。
本当にそう思う。毎日クタクタになるまで頑張ってさ。

ただ彼らのことを大変だなぁ、って思う反面、うらやましいとはどうしても思えなくて。
その理由を考えると、やっぱり
毎日が充実しているオーラが感じ取れない
からなんですよね。

本当に仕事が好きなんだったら、きっと1日中仕事のことを考えていればそれだけで楽しいですよね。

今日も仕事が上達したぜ!
とか。
お客さんの喜ぶ顔が本当にうれしい!
とか。

でもそうじゃない人があまりに多いように見えちゃうから。

きっと彼らはギャンブル中毒。
仕事を介してお金稼ぎをすることが大切なんであって、本当に仕事が好きなわけじゃないんだろうな。
そう感じちゃうわけです。

しょうがないじゃん。
本当はオレだってこんな仕事したくないんだよ。

いや、ごもっともだと思います。
実際問題として仕事しないと生きていけないですもんね。

でもどうしてボクがこんな記事を書いてるかって言うと、多分これからは自分がやりたいことだけやって生きていく人が増えていくんじゃないかって思うからなんですよね。

今は結構低所得な人でものんびりと生きていける環境が整い始めてるみたいですよ。

ミニマリストとか流行り始めてるし。
案外、やりたいことだけやってても、必要最低限の生活水準であれば生きていけたりするものかもしれません。

ちなみにボクはベトナムで生活してるんですけどね。

月50,000円もあれば十分過ぎるくらいの生活ができています。
それでiPhone使って、こんなブログを書いて、言いたいことを発信できてるんだから。
結構楽しい毎日だったりします。

ボクは毎日やりたいことをやって生きています。
たとえ所得が下がっても、あまり自分にストレスをかけたくないから。

あんまり頑張って仕事やりすぎるのにもリスクがあるんじゃないですかね。

やりたくない仕事をお金のためだけにやり続けていると、そのうち本当に自分がやりたいことまで分からなくなっちゃったりして。

脳みそ凝り固まっちゃうと悲惨ですよ。
だってお金がたくさんあっても精神が壊れちゃったら、人生を楽しむこともできなくなっちゃうわけでしょう。

最低賃金ってボクは必要ないと思う

最低賃金=プロ意識

ボクはそんなふうに思っています。
今の東京で最低時給って1000円位ですかね?
これってつまり、会社は最低でも労働者に1時間で1000円を払わないといけない。
そういうことですよね。

そうすると
1000円分の働きはちゃんとしてもらわないと困るよ

どうしても、雇っている側の意識はそんなふうになってしまうわけだし。
働いてる方の責任感や、プレッシャーも強いものになってしまう。
そう思うんです。

今の日本でニートとか、働きたくない人が増えている理由っていうのは「働く事に対するプレッシャー」が強すぎるからじゃないかな。

別に肉体的にきついこととか、単純作業をやることが嫌なわけじゃなくて、仕事に対する責任感が重すぎることがニートが増えているクリティカルな原因だと思います。

こういった状況を打開するためには、仕事に対するプロ意識を下げてあげる必要があって。

これはつまり「仕事をする上での精神的なハードル」を下げてあげることが大切だ、と言う意味です。

最低賃金がなくなって、時給を自由化。
つまり時給100円とか、もっと言ってしまえば50円なんかに設定できるようにしてしまえば働く人はきっと増えていくと思います。

日本の社会がかかっている病の1つに
お金を払っている側が絶対的に偉い
と言う価値観があって。

この価値観を壊さない限り、ニートの人が働きたいと思えるような社会にはきっとならないと思うんです。

例えばボクがちょっと筋トレが好きな人だとするじゃないですか。

それでパーソナルトレーナーになりたいなぁって言う気持ちがあるんだけど、なかなか最初の1歩が踏み出せない。
そんなケースってよくあることだと思うんですよ。

ではなぜ踏み出せないか?
それは、
最低賃金=プロ意識
の構造が原因となっていて。

自分位のレベルではお客様からお金をいただく権利はない
と考える謙虚な人が多いからじゃないでしょうか。

でももし、ボクの指導代金がたったの100円だったらどうでしょうか。
いくらお客さんだからって、100円でそんなあれこれと文句を言われる筋合いは無いですよね。
いや、どうでしょう。
むしろあまりに安い値段でサービスを提供してる、なんて場合にはお客さんよりも売り手の方が上の立場になってもいいのかもしれません。

自分の能力に自信がないうちは100円でとりあえず商売を始めて、経験や実績ができてくれば給料を1000円に設定する。
そんなステップができてくれば、いろんなことにチャレンジする人がきっと増えてくるんじゃないかな。
ボクはそう思います。

これは別に自営業の話だけじゃなくて、会社で働く時であってもそうだと思います。

「ボクはそれなりの仕事しかしないですよ。だって今の時給は500円ですもん」
ちょっとここまでくると極端かもしれないですけど、これくらいのセリフを労働者がいえるような社会になったら、日本からニートなんていなくなると思うんです。

サービスのクオリティーは払った値段に比例する。
このあたりまえの感覚が、日本のサービス業全般で麻痺しているみたいです。

だから最低賃金を自分で自由に設定できるようにして、この麻痺を直してあげる。

そのことが
お客様は神様だ
という間違った感覚を修正し、社会で活躍する人が増えることにつながるんじゃないでしょうか。