100ワニ事件が示してくれた文化と経済の相性の悪さ

「100日目に死ぬワニ」と言う作品がTwitterで人気になっている、と言うことをボクが知ったのは3日位前の事だった。

このワニ。なんとボクの誕生日である3月20日に死ぬと言う、個人的にはすごく迷惑なことをしてくれた、とんでもないワニである。
せっかくの誕生日だってのに、縁起の悪いことこの上ない、ってわけだ。

もしかしたら10年も経ったらこのワニの命日を覚えている人はボク以外にはいなかったりして、、、

と、まぁそんな個人的でどうでもいい皮肉は置いておいて。

今この作品が非難を浴びているようである。
20日に死んでから始まった怒濤のメディア展開がきっかけだ。

書籍化決定!映画化決定!グッズやイベントなど続々!、、、らしい。

これについて怒っている人はいったい何を感じているのか?
一言で言ってしまえば
死をエンターテインメントにしている
ということが問題なのだろう。

ここで起きている現象をわかりやすく解説すると
経済vs文化
効率的なものvs非効率的なもの

という真逆の性質を持ったものが混じりあってしまった時に起きてしまう気持ちの悪い感情である。

ちょっと考えて見てほしい。

お寺に行って効率的にお祈りをすることは可能だろうか?
効率的に亡くなった人に対して追悼の念を伝えることは可能だろうか?
それは不可能である。

なぜだろうか?
それはこういった文化的な行為というのは経済であったり効率的であることと非常に相性が悪いからだ。

ここを犯してしまうと人は気持ちの悪い感情を抱くようになる。
今回の件で言えば、死という要素と経済活動が一体化した結果、多くの人が悪感情を抱いたということだろう。

彼らが感じたことはおそらくこうである。
「資本主義の社会では死ですら消費、エンターテインメントの対象になってしまうんだ、、、」

100ワニ問題とコロナ問題は根が同じ

今回の100ワニ事件に関わらずとも現代日本では先ほど説明した
経済vs文化
というバチバチの戦いは常に繰り広げられている。

そして日本人の基本スタンスは経済側の陣営に位置しているのだろう。
ボクはそう感じている。

言ってしまえば現在のコロナウイルスもそうじゃないだろうか。

ボクは今ベトナムという国で生活をしているのだけど、日本人の対応とベトナム人の対応の違いはおもしろいほどに真逆だ。

かたや
・経済が止まってしまったら生きていけなくなる人が大量発生する
と言っている国。

かたや
・自国に入国する全ての外国人は2週間の隔離をすることに決定した
と言っている国。

経済と人命。政府としては結局のところどちらかを選ぶほかには選択肢はないのだろう。
どちらを優先した国が正解なのかは現状まだわからないが、きっと近いうちに答えは出るのだと思う。

ボクが住むベトナムのホーチミンは現在、街がゴーストタウン化してきている。
経済という効率性を排除し、非効率的な人命を重視した結果だ。

仕事を失う人が続出して田舎へ帰ることを決断した人も多いらしい。
実際、あれほどの渋滞を引き起こしていた街にあふれるバイクたちはどこかへ行ってしまったようだ。

客が来ないので倒産する会社がドンドン増えていきそうだ。
賃料が異常に高いホーチミンにおいて、何ヶ月も収益がないという状態では事業者たちは火の車状態だろう。

ただ、だからと言って政府に不満を言っている人はほとんどいないのが面白いところである。

むしろ
「コロナのおかげでお金よりも家族と過ごす時間が大切なことに気づけた」
とポジティブなことを言っている人の方が圧倒的に多いのだ。

まぁそもそもがこういった国民性だからこそ、経済を無視した政策をとっているのだ、という分析もできるわけだけど。

お金で全てを判断する日本人と家族で全てを判断するベトナム人。
言っていることから、やっていることまで日本とベトナムはまさに真逆なのである。

日本人はいったいいつまでお金を追いかけ続けるのか

東日本大震災の時に
自粛ムードに流されて経済活動をストップしてはならない。
というような意見をよく聞いた。

多分言いたいことはこうだろう。
経済が止まってしまったら日本全体が不況になってしまって元も子もない。
それよりもボクらがやるべきことはいつも通りに経済を回して、そこで生まれたお金を被災地に届けることだ。

しかしちょっと考えてほしい。
この意見は本当に正しいのだろうか?

こういった意見は論理的であり、効率的な話であり、アメリカ人がもっともらしく主張しそうな意見である。
(アメリカ人、ごめんなさい)

日本にはもともと効率を無視してでも文化を尊重する面があった。
もちろん震災が発生した際には、追悼の念をもってして経済活動を自粛するということもその一面だろう。

こういった文化的行動には力強い説得力がないし、論理的ではない。
だからアメリカ人のようなシンプルで論理的に物を考える人からは馬鹿にされるかもしれない。

しかしその行動には意味がある。
精神レベルを上げる、ということの意味である。
さらに言えば文化を守る、ということの意味でもある。

経済と文化は拮抗している。
経済を選び続ければ精神レベルや文化レベルは必ず下がる。

今の日本の経済偏重をみるに、だいぶ精神レベルが下がっているように見えるようなのだが、いったいいつまでこんなことを続けるのだろうか?

ワニが死ぬことをコンテンツとして消費すること。
そこに気色の悪さを感じる程度にはまだまだ日本人の精神レベルは残っているようだ。

ただ、そもそもこういった問題の根本は経済やお金を絶対的な物差しとして全てを測りたがる日本人の習性にある。

なにかあると「経済が〜」という記事が出回る日本。
お金のこと以外はなにも考えられないのである。

こういった記事そのものに同意しないボクのような人が増えていかない限り、この種の問題はきっと解決しないのだと思う。
日本人が経済を「どうでもいい物」とみなすことができるようになるまで日本の苦難はまだまだ続きそうである。

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yusan

ホーチミン在住7年。元ベトナム語通訳です。日本で働くベトナム人に質の高い教育を施してあげたい。日本に良い人材を送りこみたいという気持ちで教育事業を行なっている日本語教育のプロです。ベトナム人材についてのご相談はボクのメールに直接どうぞ。

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