日本人の「極論嫌い」がメディア報道を腐敗させている

最近、朝日新聞や毎日新聞に対する風当たりが強くなっていますよねー。
きっと「左に寄り過ぎた新聞報道」が今までずっと続いてきたもんだから。
それで、いいかげんみんな嫌気がさし始めちゃったのかな。

ただ、やっぱりボクが1番気になっちゃうのは
「なぜそもそも日本の新聞はこんな状況になってしまったのか?」
っていう根本的な原因についてなんですよね。

だって、根本的な原因を解決しないと、何度でもこういった問題って繰り返されちゃうわけじゃないですか。

日本人のバランス論好きこそが新聞腐敗の元凶

最近「新聞に書いてあることなんて信じない」なんて人が増えているように感じます。
これって結構すごいことですよね。
ボクの小さい頃なんて、新聞を読んでいたら

新聞をちゃんと読んでいるなんて偉い

って大人から褒められたりしたもんなんですけど。

いやー。世の中の価値観って変わるもんなんですね。

慰安婦問題の原因を作った朝日新聞なんかが引き金になって現在のマスコミ不信ができてしまった気がするんですけど。
まぁ新聞社が作っているプロパガンダとかミスリードが世の中には溢れていますからね。
そういったものに嫌気がさしてしまった人たちが新聞を信用しなくなっているのかもしれないですよね。

ただこんな状況を作り上げたそもそもの原因はどこにあるのかなぁ?って考えてみると。
それは日本国民のどっちつかずな考え方にあるような気がするんですよね。

日本人って極論を嫌う傾向があるじゃないですか。
「偏った意見は警戒する」って人がとにかく多いですよね。

あなたの意見はどうしてそんなに極端なんですか?

なんてセリフは決め台詞のようになっているわけです。

こうした言い方の裏にはとにかく
極端な意見だけは絶対に受け付けないよ!
っていう強い意志が込められていて。

極論=悪
という思考がそこにあると思います。

だから新聞の論調だって
「私は右側の意見も検証しました。そして左側の意見も検証しました」
みたいな。

そんなバランスのとれた記事が人気になるんじゃないかなぁと。
そう思います。

でも実際には独自の意見を持たない新聞なんて存在しないわけですから。
結局は左か右のどちらかの意見を言うわけしかないわけですよ。

バランスをとっているように見せかけつつも、実際には偏った意見を発信している。
これが新聞業界の問題点なんじゃないかな。と。

そんな気がします。

朝日新聞や毎日新聞なんかはいわゆる「左寄りの新聞である」って言うふうに評価されていますよね。
ボクはこれらの新聞が「左に寄っているから悪い」とは全く思っていないんですけど。
右の意見と左の意見を両方取り入れているように見せかけておいて、実際には左に寄った情報発信している。

そんな姿勢についてはなんか気持ちが良くないなぁって感じてしまいます。
だってなんか。騙されているような気分で嫌じゃないですか。

でも、そもそもどうしてこんな
バランス論に見せかけてミスリードする
なんて方法が日本の新聞社で行われていたんでしょうね。

それってやっぱり日本人の国民性に原因があるんじゃないかなぁ、と。
そんな気がするんですよね。
日本人の極論嫌いって、ほんとにすごいですからね。

新聞報道がバランス論を語るのはNG

ボクはそもそも「新聞社は極論しか言ってはいけないもの」なんじゃないかな、と思うんですよね。

だってバランスをとっているように見せかけておいたって、結局は右か左の意見を書くわけじゃないですか。新聞って。

たまに「天皇陛下万歳」って書くけど、たまに「韓国に謝罪せよ」って書く。みたいな。

そんな本当にバランスの取れた記事を書いている是々非々新聞なんてないわけじゃないですか。
だから結局は全てどちらかに偏ったポジショントークなんじゃないかな?って。
そう思うわけですよ。

そんな構造があるっていうのに
私はちゃんとバランスをとる努力をしましたよ
っていうような建前を作ることってそんなに大切なことなのかな?

そんなパフォーマンスにエネルギーを割くくらいなら、記事の質を上げることに全力を尽くして欲しい。
どうしてもボクなんかはそう思っちゃうんだけど。

世界中どこに行っても新聞記事ってのは偏った意見を書いているものだと思うんですよね。

だって新聞っていうのは、特定の立場にいる人の意見を代弁するためのものだからです。

わかりやすい構造で言うと資本家階級の人が読む新聞と労働者階級の人が読む新聞。
そんな感じじゃないですかね。

資本家階級の人が読む新聞の論調は当然
労働者を管理する目線
で書いているでしょうし。

労働者階級の人が読む新聞
「賃金が低いじゃないか!」
といった感じで支配者階級の人に対する牽制をするような記事を作るものだと思います。

新聞の本質そのものが「真実を探すため」といった高尚なものではなくて。
単なるポジショントーク。
言ってしまえば一方的な極論なわけですから。

新聞報道にバランス論を求めてしまうってこと自体に問題があるんじゃないかなぁ。って感じちゃうわけですよ。

特に民主主義の国っていうのはいろんな立場の人がいて、いろんな意見が出てくるわけですからね。
それを自分で読み解かなければならないわけですよ。

いろんな極論を聞いて、自分で考える。

もちろんバランスっていうのはとても大切なことなんだけど。
そのバランスは新聞とか、人の意見に対して求めるものじゃなくて。
自分自身の中に求めるべきだと思うんですよね。

両極端な意見を見比べて自分の意見を導き出す

世の中で何か気になる事件が起きることがあるじゃないですか。
そんな時にボクは朝日新聞と産経新聞しか読まないんですよね。

まぁこのセレクトが最も正しいかどうかはわからないんですけど。

一般的に産経新聞は右に寄っている、とされているわけじゃないですか。
で。朝日新聞は左に寄っていると。

この2つの新聞社は非常に両極端。
いろんな事件を真逆に解釈してくるので読んでいて見比べがいがあるんですよね。
同じニュースを報じる時でも全く逆のスタンスで書いているからです。

1つの同じ事件であっても
〜である。だからAさんが悪い!
〜である。だからBさんが悪い!

こんな感じにパカッと意見が割れるので読んでいて面白いんですよね。

Aさんが悪いのか。Bさんが悪いのか。
それが最初はよくわからないんだけど、Aさんを擁護する意見がある。
そしてその反対にBさんを擁護する意見もある。

そこを自分で読み解いていくのが面白いわけです。

自分で考えると自分だけの結論が出るじゃないですか。
で。自分で考えて出した結論っていうのはちゃんと「自分にとっての正しい意見」になるわけじゃないですか。
他人がどう見るかは置いておいて。

だってそれは自分で考えて作った意見だから。
自分のポリシーみたいなものになっていくんだと思うんですよ。

そういった思考の積み重ねが自分のアイデンティティになって。
それが自分自身のバランス感覚につながっていくんだと思うんですよね。

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yusan

ホーチミン在住8年。元ベトナム語通訳です。 もともとはベトナム人材関係の仕事をしていたんだけど、現在はコロナのせいで失業中。 良い仕事があったら紹介してください😷

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